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着せ替え人形ジェニーのブログです。
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ジェニーの歴史を物語風に綴ってみました。



アメリア大陸のはるか西方に位置するドールス島。光と闇の神々の戦いによって生まれたこの島は遥か太古の昔より愛と欲望の支配する島であった。いつ果てるともしれない戦乱に、いつしか人々はその島のことをこう呼んだ、[呪われた島ドールス]と。

この戦記はこのドールスにおいて後の世に第1次ドールス大戦と呼ばれた混乱の時代を記したものである。

[前史]
このドールスにおいても平安の時代はあった。ドールスにおいてはリカーナ公国を盟主とするタキラ王国とバンデイ帝国の2大勢力の均衡によりその平和は保たれていたのである。むろん、リカーナ公国の絶大なる力によりタキラ王国の威信は長きにわたり揺るがぬものであった。その[城]に集まるタキラ王国民は多く、その賑いは絶えなかったと伝えられている。

[ハービー王朝時代]
事は、タキラ王国が新たな領土の獲得を目指したことに始まる。時に、J暦BJ5年(西暦1981年)、タキラ王国は、アメリア大陸を支配するマタル共和国の協力を得て、新たに新公国を興し、マタル共和国から最も高貴とされる名を拝領し、その名をハービー公国とした。

ハービー公国初代女王はフローラ、エリー両将軍の協力を得て、急速にその勢力をのばしていった。なお、余談になるが初代女王のいとこにあたるランゼ卿が同時期一軍を率いて孤軍奮闘したことは知る人ぞ知るところである。

[前ジェニー王朝時代]
順風満帆に見えたハービー公国であったが、ここに驚天動地の事態が起ころうとは。
ハービー公国によるタキラ王国の勢力拡大を、ドールスの一方の雄であるバンデイ帝国が黙って見過ごすわけはなかったのである。バンデイ帝国は密かに密使をマタル共和国に送り、マタル共和国とタキラ王国の同盟関係を解消し、かわりにバンデイ帝国と新たに同盟を結ぼうというものであった。この企みは成功し、ここにマーバ同盟が結成され、J暦AJ元年(西暦1986年)、ここにマタル共和国から同盟破棄が宣告されたのであった。

ここに至り、タキラ王国はハービー公国をジェニー公国と改称し、格闘将軍シーナ、大司祭マリーン、弓将軍ジュリア、魔術師フローラ、戦士エリーの5将軍団(秘密戦隊)を結成(翌年には、さらにアニー、ジュディ、アヤ、リサ、メイリンの新5将軍団(電撃戦隊)を、そのまた3年後にはアベル、ロザーナ、エリカ、フランソワ、エリーゼ、ルイーズの6将軍団(六星戦隊)を結成)、さらにはタシケタ平原にJショップ砦を築き、予想されるマーバ同盟との戦争に備えるのであった。(なお、この時のJショップ砦は当時のジェニー公国の国力を反映し、喫茶室もある優雅なものであった。さらに、J暦AJ元年、戦意高揚のため、女王を主人公にした歌劇がヅカ歌劇団により上演されている。)

○マーバの役
ついに戦端は開かれ、ジェニー公国とマーバ同盟との戦いは始まった。戦いはタキラ王国の全面的な支援を得、初代女王ジェニーの活躍もありジェニー公国の一方的な勝利に終わった。なお、主戦場となったコートにおける戦闘は激烈を極め、この戦いは後の世に[コートの戦い]としてあまりにも有名である。

マーバの役の勝利の後、ジェニー公国には一時の平安が訪れた。ただし、それは苦難の時代の前の束の間の平和でしかなかった。

[暗黒期]
J暦AJ6年、タキラ王国は名君の誉れ高い初代女王ジェニー一世に退位を迫り、かわって第2代女王ジェニー二世を即位させた。しかし、先代女王を慕う国民の不評を買い、この第2代女王は僅か1年で退位を余儀なくされ、新たに第3代女王ジェニー三世を即位させざるを得なくなったのであった。

バンデイ帝国とマタル共和国はこのタキラ王国の混乱を見過ごすはずはなかった。J暦AJ7年、バンデイ帝国は女王ムーン率いる新興戦闘国家セーラーを前線に送り起死回生をはかり、これに前後してマタル共和国もこれまで全面投入を躊躇していた主戦力のハービー部隊の本格投入を決定したのである。事態を重くみたジェニー公国は、エリー、レイフ、リナ、キサラからなる親衛隊(エリーズ電撃隊)を急遽結成し、急変する政情に備えた。ここにドールスは3国鼎立時代を迎え、タキラ王国は2正面作戦を余儀なくされる事態となったのである。

○セーラー戦役

遂に、3国間の戦端は開かれた。特に、セーラー国の女王ムーンはマーキュリー、マーズ、ジュピター、ビーナス将軍と共に目覚ましい活躍を見せ、難攻不落といわれたタキラ王国の砦の多くを打ち破り、タキラ王国を壊滅寸前まで追い詰めていった。特に、Jショップ砦陥落の報はタキラ王国民の大いなる嘆きを誘ったと伝えられている。

ここで、なぜ特に強力ともいえない戦闘力しかないセーラー国が、磐石の強さを誇ったタキラ王国を壊滅寸前まで追い詰められたのかについて、次の様な説が有力視されている。
つまり、セーラー国は、バンデイ帝国が古くから得意としていたモニタの法を、特に自在に使いこなすことに優れ、この法力を使うことにより、戦う前にタキラ王国民は自国への忠誠心を捨て去り、セーラー軍進駐にあたっては喜んでセーラー国軍を受け入れたためとされている。

[後ジェニー王朝時代]
J暦AJ11年、 さしものセーラー国も衰退の時期が訪れようとしていた。タキラ王国はこの期を逃さず、失地回復のための手を打ってきた。1つは女王自ら指揮をとる[カレンダーガール軍団]の結成と建国以来最も重大な改革といわれる[スーパーアクション部隊]の投入である。

この英断はタキラ王国民の喝采を得た。さらに、モデラー国からのカスタマ族など諸外国からの移民の増加を呼び(なおこの移民増加にはキャラク国への進出も大いに影響を与えている)、セーラー国の瓦解後を継いだキューティ国が弱体であったこともあり、国勢は大いに盛り返したのである。

タキラ王国はこの期に乗じ、他国との同盟を頻繁に結び、ジェニー特別部隊を数多く編成、一挙に勢力拡大を図ったのである。ただし、これらの戦費調達の為、国民に大きな負担があったことを忘れてはならないだろう。

さらに付け加えるならば、この頃からジェニー公国では、戦費節約のため、甲冑や兵士の一部を自国調達から西の大陸からの輸入に変更したが、兵士と国民には不評であったといわれている。そのため、甲冑製造販売業のヌアド商会、傭兵派遣業のトココ屋等の城下の商店が繁盛すると共に、[市場]と呼ばれるものが各地に現れ、後の[市民階級]の出現の基になっている。

ここに、いまやドールスにおいても一大勢力となり、最後にして最大の強敵であるマタル共和国ハービー部隊との最終決戦をむかえる準備が整ったのである。

[神聖ジェニー王朝時代]

前王朝時代において国勢を盛り返したとはいえ、打ち続く戦乱のためジェニー公国の国力は全盛期の半分程度まで減少していた。対するバンデイ帝国もまた例外でなく、極度に疲弊していたのであった。

J暦AJ14年(西暦1999年)、この年はタキラ王国、バンデイ帝国共に、この現状からの脱出を図るため、静かにそして大きな戦略の転換を行った年である。
タキラ王国においては、同年、遂に市民階級の存在を公式に認め、市民階級向け施政方針書の公布を決定した。前王朝時代において出現した[市民階級]の増加が無視できなくなったためであり、彼らに対する施策に重きをおいたのである。

さらに、あろうことか、またも新しい女王の擁立を決定しAG朝を興し、敢えて南北朝を演出するという挙に出た。新しい女王は市民階級の支持を得るであろうか? 前途多難も予想される。
最後に、引退していたタキラ王国の影の大王がこの難局打破をはかるため、再度王座に返り咲いたのである。この事からもタキラ王国の窮状が推し量られるというものである。

一方、セーラー国衰退後、戦線を縮小していたバンデイ帝国も、驚くべきことにマタル共和国と同盟条約を調印した。
そして、この年の10月満を持してタキラ王国は[パーフェクト軍団]を世に問うた。J暦AJ11年の[スーパーアクション部隊]の投入に続く新たな挑戦である。

神聖ジェニー王朝の幕開けとなったJ暦AJ14年はまさに激動の年であったが、続くJ暦AJ15年にもまた驚愕すべき事態が発生した。古より他の島にて繁栄を誇っていたドミイ国が遂にドールスにその目を向けたのである。自国にドールス用の軍を持たないドミイ国は、西の大陸の遥か西の果てにあるジョッカブレジオ国と同盟を結び、ジョッカブレジオ国のダーニア軍をもってドールスに攻め入ろうとしたのである。その時代のドミイ国は賢王をいただき、国勢ますます盛んな時であり、ジョッカブレジオ国の他にアメリア大陸にてマタル共和国と対抗する軍事帝国バスブロとも同盟を結んでおり、旧来のタキラ王国とマタル・バンデイ同盟にとって強大なる第三の勢力出現といえた。

タキラ王国は急ぎ対策を練り、その主戦力である盟主リカーナ公国軍の近代化を図ることを決定し、その軍はネオリカーナと命名された。さらに、衰えた国力のままではこの激動の時代を乗り切ることはできないと、デンノーの雄コナーミ国の力を借りることを決断した。さらにその年の10月には往年のJショップ砦を彷彿とさせる[リカーナ67]なる砦を築き、来たるべき戦いに備えるのであった。

ここに、ネオリカーナ・ジェニーの二軍を擁しコナーミ国の力を加えたタキラ王国、ハービー軍を擁するマタル・バンデイ同盟、ダーニア軍を擁するドミイ・バスブロ・ジョッカブレジオ連合の三つどもえの戦いの火ぶたが切って落とされたのである。まさに、今後の動きに目が離せない激動の時代に突入したのであった。

しかし、翌16年初頭、驚愕すべき発表が国土中をかけめぐった。なんと、建国いらい長年にわたり数々の英雄・勇者を輩出してきたイワキ士官学校が大幅に規模を縮小し、以後外国にて養成を行うとの決断がなされたのである。この報にタキラ王国民は将来へのいいしれぬ不安をかきたてるのであった。

遅くなったが、この神聖ジェニー王朝では長らくジェニー公国を率いてきた第3代女王ジェニー三世が退位し、新たに第4代女王ジェニー四世が即位している。この新女王はこれまでのジェニー三世とは異なる将軍を従えている。新将軍はシオン、たまき、サヤカといった精鋭ぞろいである。ジェニー四世とその将軍達はこれからどの様な物語を作っていくのであろうか。
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